上山高原歴史・文化資源

○ 青下の水路

 明治元年から3年の歳月をかけて、青下の10町歩に及ぶ新田開発のために施工されました。後に発電所の水源にも利用されることとなり、地元の人たちの生活だけでなく広域にわたって貢献しました。大正7年に青下72戸に電灯が灯った話は今も語り継がれています。

○ 木地屋跡

 木地屋は年中を深山で過ごし、ろくろを使って椀や杓子などを作っていました。平安時代に小野宮惟喬親王から技術を学んだとされています。氷ノ山から扇ノ山系の山々を、良材を求めて移動し、最盛期には約400人の木地屋たちが温泉町の深山にすんでいました。明治になって陶器の普及によって衰退しました。今は、わずか数件の屋敷跡と墓標が残り、往時の栄華を忍ばせています。

○ 海上の傘踊り

 江戸時代に山陰地方が大干ばつに見舞われた時に、雨乞いをしたのが始まりで、小学生になると伝承され、盆行事には欠かせません。村の青年達の手で保存され、高い技術と迫力を誇っています。国内はもとより、海外4カ国からも招かれました。
○ さえもん踊り

 約600年前(鎌倉時代中期)、一遍上人がこの地で広めたといわれる念仏踊り。優雅で古典的な踊りは温泉町の郷土芸能として無形文化財に指定されています。岸田と田中地区の有志によって保存され、無形文化財に指定されています。盆が近づくと稽古が始まり、両地区や合同盆踊りに花を添えます。

○ 奥八田合同盆踊り大会

 毎年盆の16日に行われる奥八田地域合同の盆踊り大会。この地域独特の音頭や手踊りは、住民はもとより帰省客の楽しみとなっています。各集落の青年達が出す屋台も楽しみの一つです。

○ 青下の婦人傘踊り

近年、地区の若い婦人達がはじめた傘踊り。勇壮な海上の傘踊りと反対に、軽快で華やいで、リズム感あふれた現代的な踊りです。
○ 石橋池

名産節で「石橋名産大清水…」と唄われるように、湧き水を溜めた石橋池は古くから生活用水に、灌漑用水にと利用されてきました。上水道の普及により生活用水の役目は終えましたが、平成8年に周囲が整備され、毎年8月にたらいこぎ競争が行われるなど、地域住民の憩いの場となっています。
○ 海上の昆虫化石

 海上では、300万年前の植物や昆虫の化石が採集されています。化石の品質は全国屈指で、特に昆虫化石においては、質のよさ、種類の多さ共に日本一といわれています。
○ 畑ヶ平遺跡

 畑ヶ平高原から旧石器時代後期の石器が発見されました。姶良火山灰層のすぐ下から発見されたので2万3000年位前のものと考えられます。ウルム氷期の最盛期にどのように生活をしていたのでしょうか。
○ 神代杉

海上では神代杉が出土します。2500年ほど前に大規模な山崩れがあり、川をせき止めて湖が出来たと伝えられ、そのときに埋もれた杉が青黒く変化してできたもので高級装飾材として利用されます。
○ 蔵王権現像

海上集落の入口にある牛峰寺にアンチされています。牛ヶ峰神社より移転されたと伝えられ、外形の損傷はなく保存状態は極めて良好です。

○ 岸田神社

 田中集落にあり、境内には杉の巨樹がそびえる。

 

○ 児島神社

 海上集落の入口にあり、境内には杉とイチョウの巨樹がそびえる。

○ 白山神社(青下天満宮)

 1652年京都北野天満宮より、天神山に建立しましたが、昭和22年現在地に移転。毎年5月第4日曜日に祭事を行い、多くの人でにぎわっています。
○ 但馬牛

 但馬牛は地域の恵まれた環境の中が造り出した日本一の名牛です。親牛は農耕用に利用され、仔牛は神戸牛や松坂牛など全国の名牛の元牛に売られ、地域の経済を支えています。